大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

千葉地方裁判所 平成5年(行ウ)17号 判決

千葉県鎌ケ谷市鎌ケ谷二丁目一七-三

原告

野口一郎

右訴訟代理人弁護士

西田研志

千葉県松戸市小根本五三番地の一

被告

松戸税務署長 佐藤一益

右訴訟代理人弁護士

相川俊明

右指定代理人

小濱浩庸

高野博

浅野良一

今井廣明

河村康之

戸田信之

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

一  請求

別紙請求の趣旨記載のとおり。

二  事案の概要及び争点等

1  本件は、原告が、平成元年分の所得税に関し、別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という)の譲渡所得一億六八二七万七二〇〇円(各種所得控除前のもの)について、分離課税となる長期譲渡所得であって居住用財産譲渡による軽減税率(当時の租税特別措置法31条の4)・特別控除(同法35条〈1〉)が受けられるものとして、総合課税となる所得一〇四二万一八五一円(基礎控除前のもの)と併せて別紙税額計算表(1)の計算により納付すべき税額二〇八七万五三〇〇円(源泉徴収分控除済)とする確定申告を所定期間内にしたのに対し、被告(税務署長)が、当該譲渡財産は居住用財産に該当しないとして分離課税対象の長期譲渡所得一般の税率と控除(同法31条〈1〉〈4〉)を適用して同計算表(2)の計算による税額(納付すべき税額四〇〇一万一二〇〇円、源泉徴収分控除後の額)とする更正処分(以下「本件更正処分」という)と重加算税六六九万余円の賦課決定処分とをしたところ、原告が、被告宛の異議申立(結果は異議申立棄却)及び東京国税不服審判所長宛の審査請求(結果は、賦課決定処分のうち過少申告税一九一万三〇〇〇円超過分取消、その余の審査請求棄却)をした後、本件更正処分と残った賦課決定処分(以下、右過少申告税分の賦課決定処分を「本件賦課処分」という)について、これらは本件土地が居住用財産に該当しないという誤った判断に基づく違法な処分であると主張して、被告に対し、各処分の取消を求める事案である。

2  本件では、原告が本件土地を平成元年七月一八日付売買により他へ譲渡したこと、原告の平成元年分の所得として、総合課税所得一〇四二万一八五一円(但し各種所得控除後で基礎控除前の額)、分離課税になる本件土地の長期譲渡所得一億六八二七万七二〇〇円(但し各種所得控除前の額)、があったこと、原告が平成元年の所得税申告納税分として納付すべき税額二〇八七万五三〇〇円とする確定申告を所定期間内にしたこと、被告が平成三年一二月二四日付で本件更正処分と右重加算税賦課決定処分をしたこと、これに対し原告が平成四年二月一九日付で異議申立をし被告が同年五月一八日付で異議を棄却し、原告が同年六月一八日付で東京国税不服審判所長宛の審査請求をし、同審判所長が平成五年五月二一日付で、更正処分の審査請求棄却、重加算税賦課決定処分の審査請求のうち前記過少申告税分超過部分の取消とその余の審査請求棄却、とする裁決をしたこと、本件土地上にその一部を敷地とする別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という)が存し、これにつき平成元年七月一四日取毀を原因とする閉鎖登記がされていること、以上の事実関係は当事者間に争いがない。

3  そして、本件では、本件更正処分による課税額の適否とこれを前提とした本件賦課処分及びその課税額の適否について検討を要するものであるが、主な争点は、原告が譲渡した本件土地(その一部が本件建物敷地)が当時の租税特別措置法三一条の四、三五条所定の居住用財産に該当するか否か、即ち譲渡の三年前の日の属する年の始めである昭和六一年一月一日まで原告が本件建物に居住していたか否か、の点である。

三  争点等についての検討・判断

1  本件建物敷地(本件土地の一部)の居住用財産該当性について

(1)  原告の当時の居住関係について、原告は、本件建物に昭和六二年一二月まで原告自身が居住してそこを住居としていた、と主張し、被告は、昭和四二年以降原告が本件建物で居住したことはなく昭和四九年頃から平成二年までの原告の実際の住居は松戸市所在の小川荘であった、と主張するので、この点につき検討する。

(2)  原告の当時の居住関係について、本件各証拠によれば、次の事実が認められる。

〈1〉 本件土地建物(甲1・2登記簿謄本)は昭和三八年から昭和三九年にかけて原告が売買取得したもので、本件土地の道路側には貸家とされた平家建の工場建物(有限会社二幸鋼材店所有)があり、奥にある二階建の本件建物を原告は妻(当時)みよ子・長男光一郎・二男文朗・長女幸子と居住する住居としたこと(甲5戸籍謄本、甲6戸籍附票、乙5聴取書、弁論の全趣旨)。

しかし、昭和四四年頃には原告と妻(当時)みよ子は別居し、昭和四五年に妻(当時)みよ子の申立による家事調停において、原告が妻(当時)みよ子に両者間の未成年の子三名の養育科を支払うことを内容とする調停(原告は実質は妻への生活費の支払約束であったと主張)が成立したこと(甲21調停調書謄本、甲32原告の陳述書)。

〈2〉 その後、原告は、株式会社丸甚の仲介で、昭和四九年頃斉藤昭子名義で松戸市所在の居住用アパートである小川荘一〇一号室を賃借し、次いで昭和六一年一月に斉藤孫與(リツヨ)名義で隣接の駐車場を賃借したこと。なお、右駐車場は契約以前から引続き原告の営む個人タクシー業の営業車両の駐車に用いられたこと(乙9聴取書、甲32原告の陳述書、弁論の全趣旨)。

〈3〉 原告の長男光一郎は、昭和五七年末頃、原告の保証による借入金を用いて二階建の本件建物の一階部分を改造し、小料理店「乃ぐち」を開業したこと。同店には、原告も時々食事や郵便の受取に出入りしていたこと。長男光一郎は、同店を通いで営業していたが、本件建物の二階部分に居住する二男文朗との折合いが悪く(原告と二男文朗との折合いも悪かった)、二年足らずで店を閉めたこと(甲32原告の陳述書、乙21聴取書)。

なお、右開業時の改造によって本件建物一階部分は全部店舗関係で使う構造となって居住用の場合はなくなり(六畳の畳の部分も仕切りはなく店の畳席に過ぎない)、かつ、改造前に一階部分にあった家財道具類は全部処分されて居住用の家財道具もなくなったとみられること(乙21聴取書、乙23調査報告書)。

〈4〉 右小料理店休業後、原告の長男光一郎は、借金の返済資金の足しにする為に昭和六〇年一〇月当該店を第三者に賃貸しようとしたが、これを知った原告が昭和六二年一月立退料を払って解約したこと(甲49合意解約書、甲31領収書、乙21聴取書、乙22領収書)。

また、当時有限会社二幸鋼材店(代表者当時原告)は本件土地上にある工場の賃借人小松シャーリングとの昭和五七年頃からの賃貸借を解約し、右賃借人は昭和六一年末に退去したとみられること(乙5聴取書、甲29商業登記簿謄本)。

〈5〉 本件土地建物につき昭和六二年二月に原告の妻(当時)みよ子を債権者とする仮差押登記がされ、同月原告の妻(当時)みよ子らが申立した家事調停につき同年九月成立した調停の条項として「原告が妻(当時)みよ子・長男光一郎・二男文朗・長女幸子に一六〇〇万円を支払い、長男・二男は本件建物が既に明渡済であることを確認し、長男は本件建物の一階部分にある動産を昭和六二年九月末までに収去し残置物の所有権を放棄し、二男は同二階部分にある残置物の所有権を放棄し、妻(当時)・長女は本件建物内に所有動産がないことを確認すること」等が取決められたこと(甲1・2登記簿謄本、乙1申立書、甲28調停調書、甲32原告の陳述書、乙21聴取書、弁論の全趣旨)。

〈6〉 原告は昭和六〇年頃から株式会社丸甚に本件土地の売却希望を述べ、昭和六二年始め頃売却が出来そうな話となったが、原告の妻(当時)みよ子の前記仮差押があることと長男・二男が占有していることが支障となって売却に至らなかったこと。その後、原告は、株式会社丸甚の仲介で、資金を捻出のうえ右調停を成立させること等により売却の支障となった問題を解決して、平成元年に本件土地を売却するに至ったこと(乙9聴取書、甲32原告の陳述書、弁論の全趣旨)。

〈7〉 本件建物での電気の使用関係は、原告の契約による使用は昭和六一年七月二二日に一旦廃止となり、同年八月二八日再使用後昭和六二年一月に原告が電気メーターを外す等して事実上使用不能としたとみられること。その後、原告の二男文朗の新規契約により昭和六二年二月三日電気使用が開始されたものの同年一二月二三日最終的に廃止となったこと。この間の電気料は、昭和六一年一月から七月までは一六〇〇円から二五〇〇円程度、同年八月から一二月までは九〇〇円から一七〇〇円程度であり、昭和六一年八月、昭和六二年一月、一一月、一二月の使用量は〇であること(乙2東京電力の回答書、甲48電気料金の領収書、乙21聴取書、小林登証言)。

本件建物に原告が設置した電話の使用状況は、昭和六二年八月以前の利用状況は本件では不詳であるところ、同年九月から一一月は基本料金一八〇〇円のみ、同年一二月、昭和六三年一月は六〇円弱、六〇〇円余という遅延損害金の支払とみられるものであり、以降利用休止となっていること(甲47NTTの証明書、弁論の全趣旨)。

なお、本件建物の敷地である本件土地には駐車可能の場所はなく、原告が個人タクシーの営業車を本件建物付近に路上駐車させているのが近所の住民に時々目撃されており、本件では当時原告が本件建物付近に自車用駐車場を確保していた様子は窺えないこと(乙7聴取書、弁論の全趣旨)。

〈8〉 前記小川荘一〇一号室の電気の使用関係は、斉藤昭子名義で契約されて斉藤孫與(リツヨ)名義の口座から料金支払となっていたところ、昭和六〇年から昭和六二年の電気料は二五〇〇円から一万円程度(概ね三五〇〇円から四五〇〇円の間)であったこと(乙12・13東京電力の各回答書、乙14調査報告書)。

右小川荘のガス(LPガス)の使用関係は、昭和五七年八月以降原告名義で契約され、その料金は平成元年頃までは灯油代とともに供給店((株)いづみや)の者が小川荘で原告自身から数か月分まとめて集金していること。また、右供給店が昭和六一年五月頃に小川荘の風呂釜浴槽工事をしたときも原告自身が立会っていること(乙10・11聴取書)。

右小川荘での電話の使用関係は、高須賀美代子名義で契約されて同人名義の口座から料金支払となっていて、その電話料金は昭和六〇年から昭和六三年まで月額二〇〇〇円余から四〇〇〇円程度(年に数度これ以上の月もある)で推移していること(乙15調査報告書、乙16中央信用金庫の回答書)。

〈9〉 本件土地上の工場建物の前記賃借人は契約中の原告への連絡先は松戸であったとし、原告の前記小川荘や隣接駐車場の各賃貸借及び本件土地売買を仲介した株式会社丸甚の担当者(代表者の夫)は当時の原告の住所を右小川荘と認識しており、また、原告の家族(当時の妻みよ子・長男・二男)はいずれも少なくとも昭和五三年頃から平成二年頃まで原告が本件建物に居住しておらず右小川荘を住居としていると説明していること。なお、本訴で原告は、当初は、本件土地売却時(平成元年七月)まで本件建物に居住していた、と主張し、後に、昭和六二年末まで本件建物に居住していたが以降右小川荘に転居した、と主張を変えたこと。(乙5・8・9・19・21各聴取書、弁論の全趣旨)

(3)  右事実関係によれば、次の〈1〉乃至〈3〉のようにいうことができる。

〈1〉 本件建物は、少なくとも長男が右小料理店を開業した昭和五七年末以降は、一階は長男の店舗(通いでの営業)、二階は二男の住居、として用いられ、一階部分は店舗休業後も貸店舗に用いられようとする等その構造自体居住用の場所・設備はなく生活用の備品も置いてなかったものであり、また、原告と二男の当時の関係からみれば原告が二階部分で居住することは考えられない状況であって、当時本件建物に原告が居住する余地がなかったとみられる。

〈2〉 また、原告は、昭和六一年から昭和六二年にかけて本件土地の売却を考えて占有者(長男・二男)を退去させようとした時、電気を止める等して、本件建物に人が居住できないような状況を作り出す等、当時原告自身が本件建物に居住していたとは考えられない行動を取っている。

〈3〉 本件建物及び前記小川荘の使用状況に関する客観的な事情として、前記小川荘が居住用のアパートであって昭和五七年から昭和六二年の時期に小川荘で原告が風呂修理・料金支払等の日常生活に関与し駐車場も確保してそこに原告の営業用車両(タクシー)を駐車させ、電気・ガス・電話は通常の生活をする程度の量が安定的に使用されているという状況があり、他方、本件建物では昭和六一、二年の電気の使用量が最高月でも当時の小川荘での最低月の水準程度の少ないもので、しかも断続的使用であって通常の生活をしているとは考えられない状況がみられる。

(4)  右(3)のとおり本件建物の構造・占有関係・原告の行動・当時の本件建物及び前記小川荘での電気・電話の使用状況・駐車状況等の判明する限りの事情からは少なくとも昭和五七年から昭和六二年の期間については、原告は本件建物に時々立寄ることはあっても本件建物で居住していたとは見られず、原告の生活は専ら小川荘で営まれていたと推認される。

そして、このことは、原告の前記家族、原告が当時代表者であった前記会社の賃借人(小松シャーリング)、原告の土地売買・小川荘賃貸借の仲介人(丸甚)等の当時継続的な契約上の付合いがあったとみられる者がそろって、原告の右昭和五七年から昭和六二年の期間の住居・連絡先として、本件建物所在地ではなく松戸市の小川荘の方を挙げている前記2〈9〉の事情からも裏付けられるところである。

(5)  これに対し、原告が種々の証拠を提出して原告が昭和六二年末まで本件建物に居住しており、小川荘の方は当時民謡仲間との練習場所等に週一・二度使用する程度のものだったと主張するけれども、本件では次の〈1〉乃至〈4〉のとおり右(4)の認定を覆すに足りる証拠・事情は見い出せないので、原告の右主張は採用できない。

〈1〉 原告の住民登録上の住所は昭和二八年から少なくとも平成二年まで本件建物所在地(墨田区亀沢)であり(甲6戸籍附票)、原告の昭和六二、三年当時の個人タクシーの営業上の住所や平成三年当時の運転免許上の住所も同所であり(甲15・16・34・35陸運局宛報告書等、甲40反則金納付書)、原告が平成元年に東京都に都民税を納め(甲38都民税納付書)、昭和六三年に都からの老人医療証等の交付を受けており(甲36の1・2老人医療証)、昭和六二年作成の家庭裁判所の調停調書における原告の住所も本件建物所在地(墨田区亀沢)である(甲28調停調書)等、当時公的書類では原告の住所は本件建物所在地(墨田区亀沢)として処理されていたとみられる。

しかしながら、これらは原告が住民登録を本件建物所在地から変更しなかったことによるものであるとみられ、前記(2)のように、本件建物に原告の子供が居住していて時々原告も本件建物に顔を出し郵便物を取りに来て手紙が届くという状況では、公的機関においても原告の申し出や特別の問題の発生がなければ前記(2)のような実態の把握は困難であるとみられることを考えれば、公的書類の記載と居住実態が異なることは起こりうることであって(現に原告が本件建物から転居したと主張する昭和六二年一二月以後にも住民登録を始めとして原告の住所を本件建物所在地とする処理が為されている)、本件では右公的書類で原告の住所が本件建物所在地(墨田区亀沢)とされていることは、前記(2)乃至(4)のとおり原告の生活の実態に則して当時の原告の居住場所(松戸市所在の前記小川荘)を認定したことを覆すに足りるものとはならない。

〈2〉 また、原告への平成元年から平成五年の年賀状(少なくとも各年三〇乃至八〇通)、昭和六一年の税理士からの通知、昭和五九、六三年の原告宛手紙等の郵便物が原告の住所を本件建物所在地として送付されており(甲9各号・甲41の3・5、甲43乃至45各号原告宛年賀状等)、当時原告宛の多くの郵便物が本件建物宛に送付されていたとみられる。

しかしながら、これも、原告が自分の住所を住民登録と同じように本件建物所在地としていて、原告宛に郵便物が届く状況にあったことによるものとみられ、現に原告が本件建物から転居したと主張する昭和六二年一二月以後にも、更には本件土地を売却した平成元年七月の後にも、本件建物所在地を住所とする原告宛の郵便物が原告に届いていることからすれば、本件建物所在地を住所とする原告宛の郵便物が多量に存することから直ちに原告が当該郵便物で記載された住所に居住していたとはいえず、当該郵便物が存することは、原告の生活の実態に則して当時の原告の居住場所(松戸市所在の前記小川荘)を認定した前記(3)の認定を覆すに足りるものとはならない。

〈3〉 更に、本件建物の近所の住人等が、原告は平成元年頃本件土地を売って引っ越すまでは本件建物に居住していた、と説明しているとみられる(甲33、51乃至53証明書、富江正義証言)が、これは、前記(2)のように、本件建物に原告の子供が居住していて時々原告も本件建物に顔を出し郵便物を取りに来ていて郵便物も届いたという状況の中では、実情を知らずに或いは原告との何かの関係があって原告の主張のとおりと説明したもの、と理解され、このことは、原告が本件建物での居住時期を当初平成元年七月までと主張したのを後に昭和六二年末までと変更したのに、右近所の人等の説明が、原告の本件建物での居住時期を平成元年頃までとすることからも窺われるものである。

従って、本件建物の近所の住人等の右説明等は、原告の居住状況についての前記(3)の認定を覆すに足りるものとはいえない。

〈4〉 なお、原告は、小川荘を当時民謡仲間との練習場所等に週一・二度使用する程度の場所と主張するけれども、本件ではこれを裏付けるに足りる証拠がないうえ、前記(2)〈8〉及び〈2〉の使用状況からは日常的な使用が窺えるものであって、原告の右主張は採用できない。そして、その外、昭和五七年から昭和六二年にかけての時期における原告の住居についての前記(3)の認定(本件建物ではなく松戸市所在の前記小川荘一〇一号室)を覆すに足りる証拠はない。

2  所得税の税額について

(1)  本件土地の譲渡所得については、右1のとおり、原告が本件土地の一部を敷地とする本件建物に少なくとも昭和五七年末以降は居住したことはなく、本件土地が平成元年当時の租税特別措置法三一条の四、三五条所定の居住用財産といえないことから、原告は居住用財産の譲渡所得の場合における同法条所定の軽減税率(四〇〇万円+四〇〇〇万円の超過額の一五%)・特別控除(三〇〇〇万円)を受けることはできないものというべきである。

そうすると、当該譲渡所得(所得控除前の額一億六八二七万七〇〇〇円、千円未満切捨処理)については、当時の租税特別措置法三一条一項四項により、分離課税の対象となる長期譲渡所得の場合における一般の税率(八〇〇万円+四〇〇〇万円超過額の二五%)・控除(一〇〇万円)により課税されることとなる。なお、原告が右分離課税の計算に用いた基礎控除三五万円は、総合所得等から控除されるもので、長期分離課税所得には適用されない。

これにより、原告の本件土地の譲渡所得に対する分離課税による課税額は、別紙税額計算表(2)被告の処分欄の分離課税分欄にあるとおり、三九八一万九二五〇円と算定される。

〔計算式〕 800万+(1,6827,7000-100万-4000万)×0.25=3981,9250

(2)  これに、総合課税所得(基礎控除前の額一〇四二万一八五一円)について、基礎控除三五万円をし(千円未満切捨処理)て、当時の税率(三〇〇万円迄一〇%、三〇〇万円超六〇〇万円迄二〇%、四〇〇万円超一〇〇〇万円迄三〇%、一〇〇〇万円超二〇〇〇万円迄四〇%)を適用して算定すると、別紙税額計算表(2)被告の処分欄の総合課税分欄にあるとおり、二一二万八四〇〇円と算定される。

〔計算式〕 300万×0.1+(600万-300万)×0.2+(1000万-600万)×0.3

+(1042,1851-35万)-1000万×0.4=212,8400(端数処理済)

(3)  右(1)(2)の税額の合計から既に納付済の源泉徴収分(一九三万六四四〇円)を控除すると、差引納付額としては四〇〇一万一二〇〇円(一〇〇円未満切捨処理)と算定され、これは、本件更正処分による税額と同額である。

〔計算式〕 (3981,9250+212,8400)-193,6400=4001,1250→4001,1200

(4)  当該分離課税の長期譲渡所得と総合所得に対する税額として原告が主張する額の計算は必ずしも明らかではないものの、右長期譲渡所得から特別控除三〇〇〇万円と基礎控除三五万円をした残額全部に軽減税率一五パーセントをかけた額と、総合所得から基礎控除三五万円をした額につき一〇〇〇万円超過分も三〇パーセントの税率で計算したものとを加算し、源泉徴収分を控除した額とほぼ一致する額を算定しているけれども、右検討結果に照らし、原告の主張する計算を採用することはできない。

3  加算税の税額について

原告の平成元年の所得税額(納付すべき額)が四〇〇一万一二〇〇円となることは右2のとおりとなるところ、原告が当該納付すべき税額を二〇八七万五三〇〇円と申告したことは前記争いがない事実のとおりであり、これは過少申告に当たるから、国税通則法六五条一項二項により、被告(税務署長)は原告に対し加算税として当該過少申告額(但し、一万円未満切捨)の一〇パーセントを賦課するものとされているところ、その額が一九一万三〇〇〇円となることは計算上明らかであって、これは、本件賦課処分における加算税額と同額である。

〔計算式〕 (4001,1200-2087,5300)×0.1=191,3000(端数処理済)

四  結論

以上の検討結果によれば、原告が昭和六一年から平成元年までの時期に本件建物に居住したことはなく当時原告が居住していたのは松戸市所在の前記小川荘ということになるから、その余の検討をするまでもなく、原告の平成元年の所得税に関し、本件土地譲渡により発生した分離長期譲渡所得についての課税標準・税額、これを前提として総合課税分と併せて原告が申告により納付すべき税額は、別紙税額計算表(2)欄記載のとおりということになり、そうすると、原告の所定期限内の納税申告は、過少申告ということになるからこれに加算税を課せられることになりその加算税の額も、同計算表(2)欄記載のとおりということになるから、これと同額の計算をしている被告の本件更正処分と本件賦課処分は正当であって、本件では右各処分につき取消すべき違法は見い出せない。

よって、原告が被告の本件更正処分と本件賦課処分の取消を求める本訴各請求はいずれも理由がないからこれらを棄却し、訴訟費用については全部原告の負担と定め、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 千德輝夫 裁判官 大久保正道 裁判官髙宮園美は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 千德輝夫)

(別紙)

請求の趣旨

一 被告が原告に対して平成元年三月二四日付でなした平成元年分所得税の更正処分及び重加算税の賦課決定を取り消す。

二 訴訟費用は被告の負担とする。

物件目録

一 所在   東京都墨田区亀沢二丁目五番地

地番   五番七

地目   宅地

地積   一三三、〇五平方メートル

二 所在   東京都墨田区亀沢二丁目五番地

家屋番号 五番一四

種類   居宅

構造   木造瓦葺二階建

床面積  一階 三三、〇五平方メートル

二階 二〇、六六平方メートル

(別紙)

税額計算表

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例